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岩原.kagewari.充尚

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NPO『HOW's』心理コンサルタント(東京HOW'sカウンセリング責任者)
retour東京』業務展開部長
Kagewari精神分析沖縄分室』『retour&Retour』ブログライター

2010年3月

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報道の熱もさめたところでトヨタ問題、

以前心理学の方のブログでしたかね、製造業における契約社員問題で一度書いたことあると思うんですが、一部財界にあった「モノづくり云々」の話が(当時は主にIT系への批判として使われていましたが)、いかにも怪しい状況にあるのじゃないかと話たかなと思います。
ノートPCだけでなく農産品なんかでも語られる「日本製への信頼」ってありますよね、
輸入食料品に対するの安全性への疑問であるとか、IBMやパナソニックのノートPC関連なんかにあるような論議です。
派遣切り問題がニュースになった時、新たに表面化したのは経済界などから語られてきた「モノづくり云々」の本丸が、小泉内閣当時の法改正を契機に製造って部分の信頼性を”軽率にも放棄していた”って話で(私は国籍はともかく熟練正社員の方が製造しているのだとばかり思ってました)、
この報道は間接的に日本製ブランドへの信頼に対する疑問に発展しかねない話でした。
※今回のリコール問題は北米生産車両が主だった要因ですが、本国が派遣切りニュースにあったような状態なんですから、北米の信頼性への意識ってどうなのだろうと決して関係のない話じゃないでしょう。

その後噴出したトヨタリコール問題ですが、欧米では随分以前から盛んに取り上げられていた話らしく、マスメディアとトヨタの力関係なのか日本ではそれほど報道されていなかったのでちょっと唐突な印象だったのですが背景はかなり奥の深い話のようです。

リコールの嵐!「自動車の父」片山豊100歳が怒る
トヨタよ、日産よ、ホンダよ 「キミたちはクルマでなくカネを作っている」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/249
 ↑
この特集でビックリしたのは、北米市場において車の販売も『金融技術』を駆使して高級車販売を伸ばしてきたってことろで、
(オプションを付けて高級化等は昔っからある話なので何ですが、格付けとして高級バージョンの車両が”売りやすい環境”が収益計算の中で比重を大きくしてきたって意味かもしれません)
『サブプライムローン』と同じような話が背景にあったのかと、、
経済学的には現代の米国経済が一般消費者の過剰消費(金融技術的信用枠:簡単に言えば借金枠の拡大)に支えられてきたのは公然の事実で、北米市場そのものが乗用車販売という分野においても金融経済学によって立っていたって話です。
21世紀に入ってからでしょうか、報道されるトヨタの利益があまりにも莫大なのがちょっと不思議だったのですがそういう背景(高級車を販売しやすい環境)があったとは知りませんでした。

これらの条件は会社経営にとっての”スキ”になったのじゃないでしゅか?
(そこに社長後退劇関連の中”拡大を急いだ”という背景もからみ)
巷間伝わるように問題の中心となった技術的問題も「本来リコールに相当しないかもしれない」な話があるのは十分承知ですが、車に関しては”そういったフィールの要素”を発売前にプルーフしておくのも信用のウチでしょう。
(オーディオで言えば”視聴無しf特性だけ”でスピーカーを販売する事無いですから)
トヨタが結局F1で勝てないまま撤退したエピソードなんていうのも、リコール問題の予兆だったのかもなんて思ってしまったりもします。


確かにこの問題の詳しい報道なり論説を読むと「トヨタが現地生産にどれだけ注意を払っていたのか」疑う余地は無く、他社との比較って相対的な分析をすれば今回のようにトヨタが米国で槍玉に挙げられるのも極端に過ぎるだろうって思っている人の気持ちもわかります。
(逆に日本のマスメディアの報道が偏向していて現地ではそれほどエキセントリックな話題では無いって話もあります)
しかし21世紀以降先進国の経済ってものが金融経済学なる代物によって、なんだかおかしな方向に走っていたのは確かなように思うんですよ。
それこそM&Aなりでファンドが堂々と買収に出てとかの方が正々堂々に見える→IBMのノートPCがドーンとレノボになってしまう方が(残念ですが)事の内容はわかりやすいですもの。

■日本の住宅ローンにも少なからず言える話で『金融技術』でお買い求めやすくなっておりますって”コピー自体”が判断材料のひとつなんだと、
これはメーカーへの直接的不信では無くて、現代社会はビジネスモデルに対して「どんな仕組みなんだろう」のように見ていく視点は必要なんだと思うわけです。

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暮らしとネットワーク(2)

世界初の実用一般世帯向けロボットとして有名なのが「ルンバ掃除機」ですが、
(48,800円)
iRobot Romba 自動掃除機 527 スティールブルー
B002PA7U8S

何故かyoutubeではネコが乗っている動画が多いのでも有名

ここからわかることは、
購入者は仕事しているロボットを何やら微笑ましく見ている世界もあるって事なんだと思います。
これって自分の一部分身のような”義体”としてのロボット文明の始まりでもあって、コミュニケーションであるとかネットワーク社会の将来にとって「どえらい第一歩」ですよ。
こんな風に一般世帯に導入されるロボットは家事代行ロボットから始まり、家事代行ロボはそのまま介護や介助機能を実装している事になります。
当然そこにはインターネットのインターフェースも実装されるでしょうから、ここで前回エントリーのようなユーザーインターフェースの利便性向上を伴う連動があれば、自分の部屋の中の身近なところにこそネットワークが存在する事になり(思うにデザイン的に携帯電話ではウェアラブル的要素がまだ不足な上機能補助の要素は限定的になる)、場合によってはロボットとのコミュニケーションも成立するかもしれない。

こうなればインターネットの利用に関してPC使いであるとか携帯端末使いのような差異は発生することなくTwitter台頭の概念がインフラ的に満たされていくのじゃないでしょうか。

論議の角度としては分譲か賃貸かのような切り口以上に、自分の部屋の機能性やネットワークとの関係性(言い換えればPCスキルと関係無く全世帯に自宅SOHOの環境が成立する)ってものは一足飛びに暮らしそのものを変えるかも知れません。

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暮らしとネットワーク(1)

なにやら○翼系市民団体みたいなテーマになってますが、えー話はそのままインターネットを含む社会のネットワークとの関係性の話です。
私は自分で複数のブログを書いている事もあるので(会社のだったり心理学だったり目的性が事前に設定されているブログ運営なので自分をブロガーと名乗るのは否定的です)、昨今頭角表しているTwitterには全く関心無いのですが(というか現状で手一杯)、紹介の関係で不動産のサイトはmixiに公開の形でアカウントはありますがmixi的なソーシャルネットワークにも否定的です。
この意図は、労働経済学の話になっちゃいますが労働組合におけるオープンショップ・クローズドショップの概念を思い出してしまうわけです。

つまり「既に社会性を備えている」とか「自然発生的に社会的雰囲気を醸成している」とか、いかにもインスタントな共同幻想の在り様というか、、
そうですね言うなら「常に消費される使い捨ての共同幻想のようだ」な感覚ですね。

勝手無頼というか伝統的な2ch等における自発的スレッドの論議であるとか、ブログにおける発信とコメントによる検証(リテラシーの担保)のような自立性や自己責任意識(心理学的に言えば当事者意識)の存在が無い事にはコミュニケーションの主体も成立しないためです。
確かに街角の論議やその”場”に集合性のあるコミュニティー型のネットワークの概念が在り得るのは確かですが(ネットワークを担保するインフラの特性がイントラネットのようなコミュニティー型を形成している)、「会議における発言」と「個人レベル発言」は趣旨も違ってくるのだし、インターネットの特性は個人個人が1対1の関係性を保持しながら公開性によって他方向の可能性を残す事で、社会心理的にも『匿名性があるからこそ記号としてのIDでは無く自我としてのIDを名乗る』個人性の特化に特徴があるワケです。
(『諱 (いみな)』と字(あざな)が現代の本名とHNにかかっている)

しかしその反面剥き出しの個人としての発言はハードルも高く、ブログ等においては記事の内容そのものが記事としてプライベートジャーナリズム的な評価の対象にもなっているのですから(それは私小説やら随筆から社会から芸能生活と雑誌同様の多様なカテゴリーが人の数だけあっていい)、発信者の側に立つって側面は簡単なものではありません。

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